ボダの掌なんて返すためにある
気がつけば境界性人格障害の元妻との離婚騒動から1年経っていた。
精神的にも経済的にも、どん底状態。
あの辛かった日々さえも美化して良い事だけを思い出して懐かしんだりもしていた。
そんな連休中に飛び込んできた情報が
「(元嫁の名)さんは来年春再婚するらしいよ」
というニュースだった。
自分自身は今、複雑性PTSD(C-PTSD)という診断を受け、ギリギリ働けるか否かという低空飛行状態ではあるがなんとか仕事には行っている。
落ちた生産性で、それでも余計に必死に働いて稼いだお金もほぼ借金の返済に消える。
働いて稼いだお金から自分に投資するという事が出来ずに未来が見えずに、この状況から抜け出すプランが見いだせない悪循環。
ブレイクスルーを見出そうとしても、原資となる気力が先ず湧いてこない。
そんな日々を送っていた連休中に共通の友人から飛び込んできたのが元嫁再婚のニュース。大層なお金持ちの御曹司さんらしい。
それが現実なんだっていう事は元嫁の問題を考えるときに沢山読んだ書籍に書いてあったが、自分が当事者になるとは正直思っていなかった。
ここまで鮮やかに掌返せるんだ
と感心するばかりである。目が覚める思いだ。
今となってみれば、もっと傷が浅い内に逃げておけば・・・。と思いもするが自分で経験しない事は中々信用出来ない部分もある。
もし、このエントリーを読んでいる人に過去の自分と同じ境遇にいる方がいるのならば、私が言いたい事は唯一つ。
タイムマシンがあったら過去に戻ってあの時の自分にそう言ってやりたいが、それは叶わない願いなので今を生きる皆さんに伝えたい
難しい事は後回し、とにかく何が何でも逃げろ。
この一言に尽きる。あなたが逃げてもどうせボダはしたたかに生き延びる。
良い事もあると感じてはいても、それはボダが機嫌の良いときだけに作り出す現実歪曲空間に於いてだけで、その空間の外には最もまっとうで楽しいことが一杯ある。
それを「勝手な事だ」っていうのはボダの理論で、あなたがいなくてもボダは別の誰かに寄生するだけだし、いまのあなたは空きたら捨てられるオモチャと一緒である。
逃げるのが遅れる程にあなたの傷だけが増える。
一緒に生きる道を否定はしないけど、ただ一度の人生である。
自分の人生を生きて悪いことなんて何もないではないか。